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2004年12月19日
商用ADSLサービス誕生の顛末
フォーブス日本語版で、滝田誠一郎さんが「ブロードバンド創世記」なる記事を春から連載していて、2005年1月号の第9回で、「商用ADSLサービスの誕生」経過が紹介されている。
1999年平成11年9月1日に、川中島有線の回線を使って、JANISが国内初の商用サービスを開始したわけだが、あれから既に5年以上経過し、時代はADSLから光ファイバにシフトしようとする新たなフェーズに入り、ADSLもいよいよ過去の歴史物語として語られるところまで来たのかと、感慨深いものがある。
有線放送協会の皆さんは有線放送という組織の生き残りをかけてADSLサービス提供をISPに持ちかけてきたが、受けて立つISPとしては商用サービスの事業収支をどうやって見通すかを必死にシミュレーションし、数え切れないほどのシステム形態を何度も何度も検討し、なんとか関係者を説得して商用サービスを実現できたのである。
記事の前半では、有線側の酒井事務局長と当時県内でのADSLの実証実験が終わって東京で「ぼんやり」していた平宮さんの事業化したい熱意が書かれているが、実は、記事の後半にある通り、商用化したい気持ちは事業主体となるJANISネット責任者の佐藤が最も強かったのである。
しかし、商用サービスは実験やボランティアではなく事業であり、いかにして採算性を見通すモデルを組み立てるか、技術的、法的、経営的な説明が求められた。
折りしも、東京メタリック通信がNTT回線での商用化を目指して準備しており、7月8月の暑い季節には、東京メタリック通信の小林さんや東條さんのお供をして霞ヶ関の郵政省に何度も足を運び、JANISの商用サービス実現に必要な法的解釈を陳情したことが思い起こされる。
当時の宮崎データ通信課長は直前までアメリカに赴任されていて米国でのADSLの息吹を把握されていたことから、大蔵省から出向で来られた中澤課長補佐とともにJANISの法律解釈を前向きに了解して下さり、国内初の商用ADSLサービスが実現できた。
この商用ADSL事業は、その後のJANISネットのブロードバンドサービスの出発点となり、次から次へと新しいビジネスモデルを開拓してきたわけである。
有線ADSL->NTT回線ADSL->NTT局間中継ダークファイバ利用(国内初)ー>JA全拠点への加入者系ダークファイバ利用による県内MPLS網構築ー>県内CATVへのインターネットサービス提供ー>県内企業への光ファイバ接続サービスー>RTボックスのコンテナ局でのDSLサービス(国内初)->ADSLの高速化、国内初の屋外回線でのVDSLサービス
Forbesという格調高い雑誌に我々の歴史が取り上げられたことはうれしい限りであるが、先日日経BP社の記者からも当時の取材を受け、2005年1月新年号の日経コミュニケーション誌でも商用サービス経過が紹介されるとのこと。
5年前の歴史は確かに記念すべきことではあるが、我々の今の目標は、VDSLサービスの拡大と、来るべき光化時代への対応方策であり、過去を懐かしんでいる余裕はない、というのが本音である。
こういう記事はリタイアしたあとの楽しみに取っておこうと思う。
投稿者 佐藤 : 2004年12月19日 00:55
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